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明治6年創業ということにしております。 それ以前より船大工をしながら旅館を営んでたようですが、明治6年に当時の当主である米蔵・亀よ夫婦が 旅館を大きくしたという記述のある資料が残っているので、この年を創業とし、米蔵を初代與十郎としております。 初代の頃は與十郎という屋号で宿屋を営んでおりましたが、明治25年に直太郎が二代目與十郎を襲名し、そのあとに屋号を「亀や」としました。 その由来は、湯野浜温泉は亀が発見した温泉と言われていていることと、先代夫人のかめよの功績よりその名前を頂き「亀や」と言われています。 この二代目はなかなかバイタリティーに溢れたアイディアマンで、当時共同浴場しかなかった湯野浜で内湯を掘って成功したり、 県議会議員や日本温泉協会会長を務めたりと地域にも大変貢献したようで、湯野浜の方々がその功績を讃え、銅像を建ててくれたということです。 |
ご先祖様は兎に角ハイカラでした。二代目は明治の時代に「万歳楼」という西洋料理屋を創っていましたし、 三代目は現在も残っております竜宮殿を、東北随一の百畳敷の宴会場を備えた洋館として建てたり、 当時としては画期的なバス・トイレ付の客室も創っていたようです。 また、大山から湯野浜までの間でタクシー会社もしていたとか。それはハイカラでモダンな戦後の「亀や」だったそうです。 四代目は小さい時に外出する際はシャツ・棒タイに半ズボン・サスペンダー姿だったそうです 戦後は進駐軍に接収され、お客様は遠のいてしまい苦難の時代を迎えましたが、四代目は学生時代に習得した英語でなんとか接収を乗切ったそうです。 そして当代五代目が昭和40年代により「亀や」の近代化に着手し今日井至っています。そこには一貫して、過去を学び、今をしっかり捉え、 未来を創造する温故知新の思想が生きづいていると思います。 |
数えきれないくらい多くの方にご利用頂いていると思います。最近お10年くらいの方々を少しご紹介しますと、 まず最初にご紹介したいのが、 作家の田辺聖子さん。ご夫婦でご宿泊頂きまして「海近く 心はらはら 湯は熱く 心ほのぼの めぐし宿 その名も亀や」という詩を読んで頂きました。 田辺先生は大変優しく素敵なおばあちゃんでしたね。その他には経団連会長の斉藤英四郎さん、数学界のノーベル賞と言われるフィールズ賞を受賞していらっしゃる広中先生、 ご夫婦で大変お酒の強かった池田満寿夫さんと佐藤陽子さん、NHKドラマで話題になりました帝国ホテルのムッシュこと村上総料理長などですね。村上総料理長からはお見送りの時に 「よくここまで全部手作りで作ってらっしゃいますね。旅館では大変な作業量だと思いますが、いつかみんな分かってくれる時代が来るから頑張ってください」と声をかけて頂きました。 凄い素敵な方でしたね |
続く>> |
■協力 湯野浜温泉 亀や |
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