庄内まちづくり協同組合「虹」 理事長/山中 洋さん |
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Q、山中理事長が歩んできた軌跡 私は1960年に鶴岡生協にアルバイトとして入協しました。鶴岡生協の創業が1955年なので五年後に入協した事になります。入協したきっかけは、高校時代サッカーに明け暮れていまして、ちなみに165Bでキーパーをやっていましたが、あまりにサッカーに夢中になってしまい、大学進学が困難になりこれからどうしようか迷っている時にたまたま入協したのが、創業間もない鶴岡生協でした。 創業当時の鶴岡生協は、24坪の店舗一つと大山に6坪の店舗があるだけでした。当初は大学進学を目指しながら働くつもりでしたが、毎日帰りが深夜11時とか12時で、朝も早かったので勉強どころではなくそのまま生協に居着いてしまい、47年間になります。 今現在、共立社はパートの方も含めて常勤で約1100人の従業員がおります。私が入協した当時鶴岡生協の従業員は18名の小さな組織でした。それが今日ここまで大きくなったという事は、協同組合で力を合わせる事がいかに大きな力になるのかという事を、身をもって体験する事が出来ましたね。 |
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Q、まちづくり協同組合「虹」を始めたきっかけは 個人的な思いからすると共立社に入ったのが47年前ですが、私が入協当時組合員になっていただいた主婦の人達は30代〜40代でした。現在その人達は80代〜90代になっています。 |
「虹の家 こころ」施設内 |
Q、庄内まちづくり協同組合「虹」の現在の取り組み 地域の問題や高齢化社会を考えた上で生活協同組合共立社や医療生協の組織だけでは解決する事が出来ないことが多くあります。そこで組織がきちんと整備されておりその組合員同士が協力して地域協同組合連合を作り、地域の問題解決に取り組んでいくということが、まちづくり協同組合の原点の考え方になっています。
具体的には緊急に取り組んでいかなければならない課題として、高齢者の介護と福祉の問題があります。この分野での協同をどうするのかという事で、庄内医療生協と生活協同組合共立社と社会福祉法人山形虹の会、山形県高齢者福祉生協の四つの組織が中心になり、高齢化社会について対応することになりました。そして中小企業協同組合法という法律に添った事業協同組合を作るしかないと、2004四年の4月に「庄内まちづくり協同組合虹」を立ち上げました。そこから第一の仕事として「高齢者住宅虹の家こころ」をスタートいたしました。そして2年後に2つ目となる「虹の家おうら」を作る事になります。 |
DATA 庄内まちづくり協同組合「虹」
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