株式会社 荘内銀行 取締役兼代表執行役頭取/國伊 英夫さん

 

地元(旧余目町)生まれの國井頭取は七人兄弟の末っ子

 私は庄内町に生まれ、実家が農家の七人兄弟の末っ子です。小さいころは、模範的な子どもだったと思います(笑)。左利きでしたが、小学校三年の時に親から強制的に箸や筆を持つ手を右に直されましたね。三年間通わされた書道教室はとても苦痛でした。
 少年時代は、クラスの中でもリーダーシップをとっていたと思います。ガキ大将的な所もあったかもしれませんが、中学では生徒会長をやっていました。クラブ活動は野球部で汗を流し、左利きを生かしてピッチャーをしていました。中学時代は、周りに左ピッチャーがいなかったからか、大会では活躍したと思います。残念ながら、鶴岡南高の時は中学生の時のようにはいかなかったですね。


荘内銀行ってどんな銀行


 私ども荘内銀行は明治11年に創業した「第六十七国立銀行」が前身です。その後昭和16年に1県1行という国の方針で六十七銀行、鶴岡銀行、風間銀行、出羽銀行の四つの銀行を一つにして「荘内銀行」が設立されました。
 荘内銀行は「地域の発展と共にある銀行」として、地域に根ざした営業活動や地域貢献活動に取り組んでいます。潤沢な経済活性化を考え、地元で生活される個人のお客さまはもちろん、中小企業や個人事業の皆さまを支援していきます。

 

 

  荘内銀行への入行からの仕事って?

 大学は時代の荒波にもまれながらも無事に四年で卒業しました。入社して最初の職場は温海支店で、その後は何カ店か営業店勤務を経て、本部勤務となりました。そして今に至るという感じです。
 町田議長が富士銀行から当行へ来て、副頭取から頭取になったころ、私は総合企画部にいました。総合企画部という部署は、荘内銀行の今とこれからを考える部署、というと分かりやすいでしょうか。機会に恵まれ、自己研鑽のため、富士銀行の総合企画部へ出向し、多くのことを学ぶことができました。
 当時、自分たちが新しい荘内銀行をつくっていこう、革新の金融情報サービスグループを目指そうという熱い気持ちで毎日を過ごしていました。従来の銀行スタイルでは、絶対生き残れないという時代のスタートだったと思います。 大変でしたが、仕事が楽しい!と
いう毎日を過ごしていました。

 


庄内の好きな所

 私は今、羽黒町の桜ヶ丘に近い所に農家の方から畑を借りています。眺望がとても良く、その畑にいくとのびのびします。畑をやりながら回転式の椅子に座り、ぐるりと回りながら庄内平野を見渡す。それこそ畑は私の最大の気分転換です。頭取になってからなかなか行く時間をとれないでいるのですが、畑ではいろんな物を作っています。だだちゃ豆などを育てて、知り合いに配っていましたね。お返しにウイスキーなどを貰ったりもしますが昔からある、物々交換みたいですね(笑)。畑を通して、さまざまな人とコミュニケーションをとれるのも良いですね。
 庄内はおいしいものがたくさんあると、最近改めて実感しています。嫌いなものはないのですが、庄内の食べ物の中で一番好きな食べ物は「とち餅」。ほら、食べ過ぎてこの通りです(笑)

 


DATA

株式会社荘内銀行
山形県鶴岡市本町1丁目番7号